●怨親平等

96.令和8年3月20日(金) 春季彼岸会の一席
 演題「怨親平等」 住職(服部潤承)


 春のお彼岸にお参り下さいました皆様、今日は。秋のお彼岸から早、半年、日の暮れるのが日毎に早くなるにつれて、日の明けるのが遅くなっておりましたが、日暮れも遅くなり、気ぜわしさが徐々に解消し、余裕をもって行動できるようになってまいりました。自然の営みがどんなに大切かが解かってまいります。お彼岸は昼と夜の時間が同じで、暑さ寒さも程よき時節となり、『中正(ちゅうせい)』を現わしています。過剰(行き過ぎ)と不足(至らなさ)という両極端の「悪徳」を避け、その中間にある「徳」、すなわち人間にとって「最高の状態・偏りのない状態・中立的な立場・最適なバランス」、つまり『中正』の道をお彼岸は顕しています。
 ところで、ミラノ・コルティナ2026年冬季オリンピック、フィギュアスケートペアで金メダルに輝いた“りくりゅう”こと、三浦璃来選手/木原龍一選手は日本史上初、個人戦ペア種目フリースケーティングで世界高得点の偉業を成し遂げました。スポーツ紙は、次のように評しています。…三浦璃来&木原龍一ペアの“本当の関係”木原は「スケートをするためのパートナー」と線引き、三浦は「全幅の信頼」関係者は「恋人を超え、命を預け合う間柄」…と。
 一心同体(いつしんどうたい・数人の考えや行動が完全に一致すること)・異体同心(いたいどうしん・身体は別々でも心は一つに固く結ばれていること)・一味同心(いちみどうしん・心を一つにして結束すること)の語が相応しいように思います。
 前置きはこれぐらいにして、本日の演題「怨親平等」について、お話し致します。
 ご本山・黄檗山萬福寺の天王殿・大雄宝殿・法堂の三棟が国宝になりましたことは以前、お話し致しました。その大雄宝殿(本堂)の外、左側に『怨親平等塔』が静かに佇んでいます。
 昭和12年(1937年)、敵と味方両国の戦禍戦病死が夥しい数になり萬福寺の住持・第49代山田玉田管長猊下はいたく憂い悲しまれ、「妙法蓮華経69,643文字」を一字一石に謹書されます。昭和19年(1944年)四日市の九鬼悠儼氏と九鬼一族は謹書の善行に感銘し宝筐印塔を建立し、69,643一字一石を納め、敵味方の将兵・市民の冥福を祈りました。
 つまり「怨親平等」とは、戦場などで死んだ敵と味方の死者の霊を供養し、恩讐(おんしゅう・恩と仇のこと)を越えて極楽往生を祈願することであります。
 文永・弘安の役の蒙古軍撃退の後に敵味方の霊を弔ったことは、民族や国の対立を超えることを意味し、島原の乱の後で敵(キリシタン)と味方の霊を弔ったのは、宗教の相違をも超える「怨親平等」を目出したものです。
 武士階級の間で武士道の発展とともに成熟し、戦いにおける敵と味方の区別を超えて、平等に故人の供養が行われました。北条時宗は元寇で亡くなった日本の兵士だけでなく元の兵士も供養するために円覚寺を建立したり、源頼朝が東大寺再建し敵である平家の供養を行なったり、豊臣秀吉が敵軍の供養のために塚を築き大供養会を営んだりしました。これは、「大慈悲に基づいて自分に害を与える敵(怨)と、親しい者(親)を分断しないで平等に慈しむ教え」に依るものです。
 最後にラクビー用語に『ノーサイド』と言うのがあります。試合が終われば敵の側(サイド)も味方の側(サイド)もない(ノー)というところから試合終了を意味します。試合が終われば、敵味方関係なく互いに健闘を称え、親交和睦を深める精神が込められています。
 怨親平等の意味が未来永劫、継承され、今、ここかしこで起きています紛争がノーサイドになりますように細やかですが願ってやみません。ご清聴有難うございました。    



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