●麻田藩伊予国領




 天正13年(1585)より青木一重公は豊臣秀吉から摂津・伊予・備中に合わせて一万石を与えられました。このうち伊予国周布郡(現在の愛媛県西条市)には、三津屋村、北条村、周敷村、石田村をはじめとする27か村、約4300石が青木家の飛地領として置かれました。
 伊予国領は本拠地である摂津国から遠く離れていたため、青木家嫡男の青木正重公が代官として現地支配にあたり、年貢の収納や村々の統治を行いました。飛地領ではありましたが、青木家は地域の有力者を登用して領政を支え、その中心的役割を担ったのが一色家でした。
 一色家は室町時代に丹後国の守護を務めた名門一色氏の流れを汲み、伊予へ移住した一族と伝えられています。青木家に仕えた一色範之公は、その功績を認められて青木家当主の偏諱である「重」の一字を賜り、「一色重之」と名乗りました。これは青木家から一色氏への厚い信任を物語っています。
 慶長19年(1614)の大坂冬の陣から翌20年(1615)の夏の陣では、青木正重公に従い、およそ200名の一色党が豊臣方として大坂城に籠城し、最後まで奮戦しました。しかし豊臣家の滅亡後、正重公は廃嫡となります。一方、青木家は徳川家康との旧縁や青木一重公の功績などにより所領を安堵され、元和元年(1615)には摂津麻田藩として再興されました。
 その後も伊予国の飛地領は引き続き青木家の支配下に置かれましたが、寛永4年(1627)の領地替えにより、伊予国周布郡の所領は摂津国豊島郡・川辺郡の領地と交換されました。これにより約40年余り続いた青木家の伊予国支配は終わりを迎えます。しかし、一色家はその後も松山藩領において地域の行政と発展に大きく貢献しました。





 令和5年4月豫州三津屋重之流一色同族会の皆様がご来山されました。




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